OL小説:「A.O.L.」その13

 元気ないみたいだね、と実花はお替りで運ばれてきたグラスを比呂子の方へと回した。深夜の時間帯に近づいた、昔馴染みのバーの中でのことだ。
 比呂子は黙ってそれを受け取ると、かなり飲んでいるはずなのに酔った様子もなさそうにそれをちびりと飲み込んだ。
「昼間の威勢のよさはどこに行っちゃったの?」
「どこだろう。まぁ、女心っていうのは変わりやすいものだからね」
 相変わらずの軽口だったが、何かあったらしいことは呼び出してほんの数分でわかった。実花としては昼間氷那に色々と聞かれたこともあり、もしかしてまた一人で面倒なことを抱えてるんじゃないかという心配で誘いの電話を入れたのだった。
 時間も遅かったし、もしかしたらいつものようにふらりとどこかに出かけているのかもしれないからあまり期待はしていなかったのだが、意外にも比呂子はあっさりと自分の誘いに乗り、この終電も出ようかという時間にも関わらず余裕で腰を落ち着けている。
 実花はあまり飲み進んでいない自分のグラスの氷が、ゆらゆらと泳ぐように溶けていくのをしばらく見つめて、ぼんやり考え事をしているらしい目つきの比呂子の横顔に顔を向けた。
「何かあったんなら、話してくれてもよくない? 私はそんなに口の軽い方じゃないよ」
 正直に言えば好奇心もないわけじゃなかったが、それでも比呂子のことが心配なことには変わりはなかった。これまでに比呂子からきちんと「相談」を受けたのはほんの数える程度のこと。その大きなものの一つは開発課の再編で2課ができることになって、そこに参加するかどうかという相談で、二つ目は同業他社から秘密裏に来たオファーをどうするかということだった。
 そういえば個人的な人間関係への相談ていうのは受けたことがないな、と実花は改めて思った。そもそも、この比呂子という人は自分自身についての相談を自分に限らず誰かにしたことはあるんだろうか? と不意に疑問も浮かんでくる。
「実花のことは信用してるよ。こうして誘ってくれたことも、すごく有り難く思ってる」
「なぁに? 持ち上げても何も出ないよ。そう言ってまたはぐらかす気なんでしょ」
 肩を親しげに叩く実花に、比呂子は目を細めて微笑んだ。気のせいか実花には、こういう笑顔の方がより一層、比呂子の中の「陰」みたいなものを際立たせるように感じられる。
「実花は意識してないんだろうけど、いつも私がそうして欲しい時に不思議と私を助けるようなことをしてくれてるんだ」
「気になる言い方するね。どういうこと?」
「言葉通りだよ。本当に…」
 そこまで言うと急に比呂子は黙って、持っていたグラスの中身をぐいっと煽る。
「タイミングが良すぎるくらい」
 そこで比呂子は大きく息をつくと、カウンターテーブルの上に体を突っ伏した。しばらく動かないので眠ったのかと思って実花が手を伸ばしかけると、比呂子は目を閉じたまま「実花は明日平気なの?」と小声で呟く。
 平気だよ、と実花が言うと、比呂子はじゃあ今日は朝まで付き合ってよ、と言った。
「『今夜は帰りたくない』ってやつ? しおらしくてかわいいね」
「かもね」
 比呂子は否定せずに少し体を起こし、再びお替りをカウンターの向こうのバーテンに注文した。

          *

 あまり認めたいことではなかったけれども、その日の真夕にはどこか投げやりなところがあったと思う。氷那は借りたシャワーを浴びながら、これから自分がしようとしていることについてよくよく考えてみた。
 水を止めると、薄い浴室扉の向こうからは相変わらず渋い趣味の音楽が鳴っているのがわかる。氷那は濡れた髪の毛をかきあげて、その戸を開こうかどうか少しだけ迷った。
 もう遅いのかもしれないけれども、とりあえずまだ戻る余地はあるような気もした。ここでこのまま服を着て、じゃ、と言って部屋を出てしまうこともそれはそれでありなんじゃないかと思う。だけどもそれをしてしまったらきっと、今度は迷い込んできた今いる場所に、再び戻ってくることが難しくなるように思う。
 扉に手をかけたまま、肩を少し越える長さの髪からぽたぽたと雫を落として氷那は止まった。しばらくそうしていると、天井の換気扇が湯気を吸い込んでいき、数分もしないうちにバスルームの視界ははっきりしたものへと変わっていく。氷那は一度天井を見上げて、それから「よし」と呟いてその小さな部屋を出た。
 さっきまで二人でいた部屋では、真夕は氷那が入浴する前とほとんど身動きもしていなかったようにベッドを背もたれにする格好で座り込んでいた。ほとんど、というのは鳴っている音楽が部屋に来た当初のものと変わっていたからだ。
 氷那はバスタオルでざっくりと自分の髪の毛を拭いて、出してくれていたTシャツだけをかぶっている。氷那が出てきたことは音や気配で察知しているはずなのに、こちらを振り向こうとしないところを見ると、やっぱり真夕も迷っているのかな、と氷那は思った。
 どう言葉をかけていいかわからず、氷那は背中を向けた真夕のすぐ背後に座ると、バスタオルを頭から垂れ下げたまま猫背気味になった肩に手を触れさせた。少しだけその感触に真夕が反応したのがわかって、氷那は両肩を撫で下ろすようにすると、首筋に後ろからゆっくりと唇をつける。
 真夕は髪の毛をまとめてアップになるようにバレッタで留めていた。氷那が首に3つほどキスをしたところでそのバレッタの金具を外すと、長い髪の毛が傾れるように肩の周りを覆って落ちた。
「こっち、向いてくれる?」
 氷那が両肩をつかんで反転するように促すと、真夕はおずおずとながら座っていた体を氷那のいる側に向けた。そこでしばらく唇にキスを繰り返しながら、真夕の肩の力が抜けていくのを氷那は待った。
 おいで、とベッドの上に真夕を乗せさせると、氷那はかぶっていたTシャツを引き抜いた。まだ湿り気の残る髪の毛が肩口と胸元の上にまとわりつく。真夕はまだ服を着込んだままだったが、先に脱がないといけないような気が、氷那にはした。
 そういえば私の方が年下なんだよね、とつまらないことを考えつつも、氷那は真夕の体を横倒しにすると、その脇に添うようにして真夕の上着を脱がしにかかった。時々思い出したように抵抗らしい動きもしてきたが、そのたびに氷那はそれをなだめるようにキスをしたり髪を撫でたりをする。下着まで全部脱がせ終わってから、氷那はそれまでわざと触れようとしてこなかった胸に唇と指先を滑らせた。
「慣れてるね。氷那」
 それまで無言だった真夕が突然そんなことを言い出して、氷那はちらりと目線を上げた。そんなこともないけど、と乳房の下側のラインを舌と指で同時になぞるように動かす。
「こういうのって、『想像力』の問題じゃない? 特に相手が同性ならさ」
 横向きに自分の方へと上体をねじるように向かせて、氷那は真夕の背筋にゆっくりと指先を下ろした。その動きに合わせて前側でも腹筋のラインを臍に向かって進ませると、真夕は抵抗とは少し違った反応を見せた。
 それがわかると氷那は少し嬉しいようなそれまで感じたことのない気持ちが起こったようで、自分でもそんなつもりはなかったのに思わずクス、と笑いが漏れた。
「何? どうして笑うの?」
 真夕がほんの少し傷ついたようで、抗議めいた言葉を出す。氷那はごめんね、と軽くキスをした。
「だって真夕があんまりかわいいから」
 ぐっと腰から下を密着させるように引き寄せると、胸の重なり合う柔らかい肌の感触を全身に感じた。舌先を遊ばせるようにチロチロと動かすキスをしながら、徐々に徐々にゆったりとした動きを激しくしていく。膝近くから相手の足の間に割り込ませるように自分の腿を絡ませていくと、根元のあたりでしっとりとしたものを感じた。  さすがに緊張をしたのか挟み込むような力が入ったが、氷那はそれを閉じさせないようにしっかりと自分の足を入れたままにし、落ち着くのを待ってから片足を抱え込むふうに開かせた。
「真夕、緊張してる?」
「してるよ。当たり前じゃない」
 氷那が後ろ側から足の間へと利き腕の指を入れると、やっぱり逃げようと腰が動いた。引き戻すように氷那はもう片方の手で腰を上下にさする。
「じゃあ、私と同じだ。私もすごくすごく緊張してる」
「嘘ばっかり」
 あながち嘘でもないんだけどな、と心の中で反論しながら、氷那は見えない自分の指先の動きに集中をした。真夕の逃げるような動きがなくなったのがわかると、もう片方の手も前後からはさみこむように大腿の間へ差し入れる。
 胸元にキスを繰り返しながらしばらくそうしていると、真夕が引き気味だった腰から下を逆に反らせるように近づけてきたのがわかった。ちょうど胸の中心近くに置いていた氷那の頭を、抱えるように腕を回す。
「氷那…」
 艶っぽい声色で名前を呼ばれて、氷那は自分の顔が赤くなるのを感じた。こういう表現が適当かどうかはわからないけれども、胸の内側が痺れるように震えたような、内側に向けた興奮というか、とにかくゾクっとしたものが全身をくまなく駆け抜けた。
「真夕。大好きだよ」
 ここまで嘘偽りなく素直にそう言えたのは、これまで生きてきた中でも初めてのことかもしれなかった。体を押し上げるようにして、もう何度目か忘れたキスをする。真夕も夢中になってきたのかほとんどしがみつくように腕が回っていて、そのきつさは痛いくらいだったけれども決して悪い感じはしなかった。
「いい? いけそう?」
「また、そういうことを…」
 恥ずかしそうに顔をそむけたけれども、真夕が何かを待つように自分の動きを止めたのが氷那にはわかった。氷那は自分の動きを止めないように探るようにして指先を動かし続ける。
 目いっぱいに抱きしめられて感じる相手の肌が熱かった。こうしている瞬間は、比呂子のことは忘れてくれてるのかな、と氷那は考えた。
 しばらくして真夕の腕の力がゆるくなって、ベッドの上にあお向けに倒れ込んだ。氷那もそれがわかって体を放すと、その隣に同じように横になる。
「疲れた?」
「少し」
 まだしっとりしたままの指先で、氷那はぐったりとした真夕の体の上を走らせた。ぼうっとした顔を隠すように腕を自分の顔の上に乗せて、真夕はしばらくされるままになっていた。
「今、何か書いた?」
「ちょっとね」
 その動きがそれまでとは少し違って、あちこちに散ったようなものであることに気づいて真夕はそう言った。詳しくその内容を尋ねたいとは思ったけれども、その時はそうする気力があまりなかった。